九州6の字普通列車旅 Chapter-5の解説
肥薩線シリーズ最終回(全3回)かをるなです
ではChapter-5の解説。
●いさぶろう号のつづき
矢岳第一トンネルを抜けて“日本三大車窓„からスタート。
ちなみに、映像ではあまり解説しませんでしたが、
”日本三大車窓„は
①北海道・根室本線 新内駅付近
②長野県・篠ノ井線 姨捨駅
③宮崎県・肥薩線 矢岳~真幸 間。
ただ、①は1966年に新線に切り替えられて
現存しませんので、実質は日本二大車窓。
さて、時刻は11時を過ぎ、いさぶろう号は第2のスイッチバックを経て真幸駅に到着。
「幸せの鐘」は幸せ度合いに応じて鳴らしましょう。あなたは幸せですか?
ところで、肥薩線は何度も災害に見舞われている路線でもあります。
まずは、映像でご紹介した
▶1945年8月22日 山神第二トンネル「肥薩線列車退行事故」
戦争による様々な弊害…具体的に挙げると
●質の悪い石炭を使って走っていたので機関車が十分な性能を発揮できない
●機関車の整備がろくにできず酷使状態
●大勢の復員兵を乗せるのに客車だけじゃ足りず貨車を連結。貨車にも乗客を乗せていた
●空襲攻撃の影響で鹿児島本線や日豊本線に迂回できなかった
さらに、そもそもの構造として
●そもそも山神第二トンネルが狭いので機関車の煙がこもりやすい
●トンネル内に照明がないので真っ暗
●車内放送ができるシステムがない
●しかも貨車を連結して走っていて満員なので情報が届きにくい環境下だった
そして、
トンネル内に蒸気機関車の煙が充満する
↓
このままでは窒息しかねないので乗客が車外へ避難、狭いトンネルの中を歩く
↓
乗務員も煙に堪えかねてSLのブレーキを緩めてバックさせる
(乗務員は乗客が外にいることを知りません)
↓
列車と乗客 接触。少なくとも49人が犠牲に
(死者の数は53人説・56人説あります)
「大戦のせいで起こった」といわれる肥薩線列車退行事故。
Chapter-5はこの事故からちょうど71年の日に投稿しました。
戦争ってこういうところにも影響してくるんですね。ホントヨクナイ。
▶1972年7月6日 「土石流で肥薩線寸断」
梅雨前線の影響で数日前から断続的に激しい雨が降り、
熊本県天草地方では「天草大水害」で100人以上の死者を出すなどの被害が発生。
そんな中、宮崎県の真幸駅周辺でも土石流が発生。駅と周辺の集落を飲み込み4人が犠牲となり、現在でも「宮崎県最大の土石流災害」といわれます。
映像にはありませんが、真幸駅にはこの時に流れてきた巨石が保存されています。
今回の熊本地震では、八代~吉松間が4月23日まで運休しました。
沿線では、八代市役所・人吉市役所が使えなくなるなど被害があったそうです。
●吉松11:22着
「はやとの風」の発車を見送った後、C55に会いに行きました。
中国人観光客けっこういたなぁ。
↑映像にはありませんが、吉松駅近くの「鉄道の資料館」にも立ち寄ってました。
結構面白いものが置いてありますよ。
では、次回をお楽しみにノシ