北海道鉄道旅2018夏 Chapter-17の解説


今回は話が前後する部分がけっこうあるので、ブロマガ解説のしかたをちょっと変えて
動画に沿ってではなく、テーマに分別してまとめました。
では解説です


●「天北宗谷岬線」のルーツは?

天北宗谷岬線は、稚内駅前~宗谷岬~鬼志別~浜頓別高校~音威子府を4時間かけて結ぶ長距離バス路線です(運行的には稚内音威子府を1本で結ぶ便はなく、鬼志別での乗り換えが必要です)。
天北宗谷岬線には、ルーツとなる鉄道路線がありました。

それが、国鉄(JR)天北線です。当時の樺太(サハリン)への連絡を目的に、大正時代に開業した路線で、当初は「宗谷線」と呼ばれていました。

その後、幌延経由のルートが開通すると、1930年に北見線に改称。さらに1961年には天北線に改称します。
急行「天北」が運転されるなど、日本最北端へのルートのひとつとして役割を果たしましたが、沿線人口の減少が影響し、1985年・国鉄再建法で「バスへの転換が適当」とされ、1989年に鉄路廃止。「宗谷バス天北線」に代替されました。


宗谷バス天北線」はかつての天北線に沿って運行されていましたが、更なる人口減少で利用客が少なく、2011年、声問~鬼志別 間のルートを、宗谷岬経由に変更し路線名も「天北宗谷岬線」に変わり、現在に至ります。
学生や宗谷岬への観光客、地域住民などが利用するものの、利用者数の低迷はかなり深刻で、一時期、一部区間を乗り合いタクシーにする案もあがったくらいでした。


●日本最北端の駅・稚内のさらに北…

日本最北端の駅・稚内の駅舎は現在4代目。

こちらは3代目駅舎の時代の写真。最北端の線路は、現在の4代目の少し北にありました。

その北にあるのは、稚内港の北防波堤ドームです。この付近には終戦直後まで「稚内桟橋駅」が存在し、当時の樺太への玄関口となっていましたが、1945年8月25日に、稚内桟橋駅は廃止。(ちなみに、1946年まで日本最北端の駅は樺太の「古屯(現在のポベージノ)駅」でした。)
現在の稚内駅も、貨物取り扱い停止や列車本数減少で規模が小さくなり、2010年に棒線化されました。


秘境駅まちおこし!?
厳しい経営を強いられているJR北海道は、利用の少ない駅の廃止を進めていて、2019年3月のダイヤ改正では、根室線の直別・尺別と花咲線(根室線)の初田牛の3駅が廃止されます。

一方、宗谷線内では“秘境駅”をまちおこしに活用しようという取り組みが出てきています。
特に積極的なのが幌延町。
2017年、幌延町・町民・鉄道ファンによる「あなたが守る秘境駅プロジェクト・マイステーション運動」の一環として下沼駅の塗り替えが行われ、
秘境駅キャラクター「ぬまひきょん(下秘境)」が登場しました。

同じく幌延町内にある糠南駅は“秘境駅ランキング10位”。MMDにされるくらい人気の駅で、「クリスマスイブを糠南駅で過ごすイベント」も開催されています。

これらの駅は、利用者数が1人以下と少なく、2016年、JR北海道は下沼・南幌延・糠南の3駅を廃止する方針を幌延町に伝えました。
すると幌延町はこれに反発。しかし反発して終わりではなく、町は2017年度の3駅の維持管理費用(一般会計で163万円を計上)を負担しました。

近隣住民がいるとはいえ、利用者数が1人以下と極めて少ない状況では、その存在自体が危ういと言わざるを得ません。経費削減のためになくすのか・新たな価値を得るために残すのか…JR北海道や関係する自治体・国だけでなく、住民や利用者は真剣に考えなくてはなりません。


というわけでChapter-17の解説でした。
この回が2018年最後の動画となりました。Chapter18以降は2019年の投稿となります。
(本当は年をまたがずに終わらせたいと思っていましたが、多忙で叶わず…)
今季、冬の鉄道旅は行いません。夏はどうしようかな…
ではよいお年を。