北海道鉄道旅2018夏 Chapter-12の解説

もう11月になってしまいました。このシリーズ、最終回までまだかかります…Chapterいくつまでいくんだろう…
では解説。


●夕張の街並み、“夕張支線”廃止までの経緯
4日目は夕張からスタート。夕張の街を撮ることから始めました。

大通り沿いには頑丈そうな建物が多くあるのですが、若干空き家が多いなぁという印象。


大通りを外れると…年季の入った木造住宅が。
左側に見える白い建物は廃校になった小学校です。


壁のタイルの一部が剥がれていた夕張市役所。建物裏の階段はボロボロになっていました。

かつて石炭産業でにぎわった夕張は、石油への転換や相次ぐ炭鉱事故、外国との競争激化の影響で衰退。1990年の三菱南大夕張炭鉱閉山を最後に、夕張から炭鉱が消えました。これにより人口が減少したほか、少子高齢化も急速に進みました。
これらの影響を受けた石勝線“夕張支線”ですが、さらに追い打ちをかけられます。
自動車の普及も進み、“夕張支線”自体の設備老朽化も深刻なものとなっていきました。列車には空席がかなり目立つ状態です。

夕張市“攻めの廃線を提案したこともあり、“夕張支線”は2019年4月1日付の廃止が決まりました。


●夕張8:25発 普通/千歳行(JR北海道キハ40-351)

キハ40系日高線色車両による運行です。鵡川~様似間の長期運休で余ったとみられる日高線用の車両は、石勝線でも運行されています。
乗客は5人ほどで、がらーんとしていました

夕張市内を南下し、新夕張へと向かいます。


こちらは3日目にも紹介した清水沢駅。駅とホームの間にある広いスペースには、かつて「三菱大夕張鉄道線」の線路や、留置線がありました。
これらがあった当時は、夕張支線のホームと駅舎の間は「跨線橋」でつないでいましたが、列車本数が減り1面1線となった現在は、長い平坦な通路が設けられています。

かつて、夕張支線と接続していた私鉄路線や炭鉱専用鉄道が3つありました。
夕張鉄道線(野幌~栗山~鹿ノ谷~夕張本町)1975年廃止
▼三菱大夕張鉄道線(清水沢~大夕張方面<現在の夕張シューパロダム付近>)1987年廃止
▼真谷地炭鉱専用鉄道(沼ノ沢~真谷地炭鉱)1987年廃止
また、夕張支線内にも貨物列車や急行列車「夕張」が走るなど、にぎわっていた時期もありましたが、2018年時点では、普通列車が1日5往復走るのみとなりました。


新夕張8:49着


新夕張駅前にはバス・タクシー乗り場が整備されました。
今後、“夕張支線”に沿う形の路線バスが10往復運行される予定です。
夕張市JR北海道は、廃線に際して
▼市内の交通網再整備のための費用7億5000万円をJRが拠出すること
▼市の複合拠点施設を南清水沢地区に整備するため、JRの土地の一部を無償譲渡すること
で合意しました。


ちなみにこの新夕張駅、かつては「紅葉山駅」と呼ばれていて、駅の場所も少し違うところにありました。1981年の石勝線(本線)の開業に伴い、現在の新夕張駅が誕生。紅葉山駅時代に「夕張線」と呼ばれていた夕張駅までの路線は、石勝線の支線となりました。

カットメロンは300円。おいしかったですよ。

夕張支線はまもなく廃止。
次回は釧路へ向かいます。ではノシ